2018 |
11,10 |
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(前略)
演奏会まであと17日。限られた時間を紛れも無い事実として眼前に突きつける残酷な数字からか、(あるいは別の何かによってかもしれないが、)漠然とした不安を抱えつつ、僕はノートに鉛筆で数式を書き殴った。週でたった1日だけ、駒場キャンパスで講義がある水曜日の昼は気が重い。朝の気怠さを午後まで引きずり、数学の授業はいつもどこか居心地が悪い。
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(中略)
どうやら青は、予定では最後の体操・発声の担当だったらしい。そういえば、自分がソーノのブログを書くのも今日が最後かもしれないことに思い当たった。それはどうでも良かったのだが、同時に不思議な妄想が膨らんだ。「もしも、今日が地球最後の日だったら」という、小学生の時に誰もが一度は思い浮かべたであろう稚拙な脳内物語である。
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Midsummer Songを歌うたびに、僕は心地よさを身体いっぱいに感じる。というのも、音色に乗って踊るストーリーの主役たる彼らが、テンポの変化に伴って情景が変わり、話の舞台を新たに躍動し始めるのが容易に想像させられるからである。
5曲の中で一番わかりやすく、そして気持ちがいいので、この曲は単純明快に好きなのである。
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The Splendour falls on Castle Wallsの練習の間も、頭の中でフィクションが紡がれていた。「もしも、今日で世界が終わりだったら」なんてのは、まだ現実からかけ離れているのでお話にならない。問題なのは、例えば「今日で大学が無くなります」とか「本日でサークルは廃部されます」といった類のもので、この種の想像(妄想)はどこにいても捗るものだ。そして、現実的に起こりうる中で、最も苦悶に満ちた命題にたどり着いた。
「もしも、今日が第65回記念定期演奏会前の【最後】の練習だったら」と考えると、胃がキリキリした。
必ずいつか、演奏会前最後の練習がやってくる。ただ、それが今日になっては困る。まだやることがたくさんある。でも、もし今日が『その日』だとしたら、死に物狂いでやるしかないじゃないか。
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風邪で潰れた喉から声はほとんど出なかったけれど、僕は死に物狂いで歌おうとした。
となりの彼はどんな風に考えているのか、目の前のアイツはちゃんと頭を働かせているのだろうか、(僕の頭の中では)最後の日だとわかっているのか等、かなりどうでもいいことが気になった。気にはなりつつ、偉大な双方の師の雄姿を思い浮かべて、僕は角笛を吹いた。
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(中略)
帰路の途中で、くだらない妄想が案外間違いではなかったことに気づいた。『通しリハーサル前最後』の4thステージ混声曲の練習だったのだ。いや、元々わかっていたことだが。
いよいよ、これからたくさん『最後』を迎えるのだと思うと、胃がキリキリした。それでも腹は減っているので、夕飯の献立を考え始めると、不安はまたどこかへいってしまう。そんなことを繰り返しているうちに、いろんな『最後』が通り過ぎてしまわないかと、新しい不安がやってくる。だが、夕飯の献立を考え始めていたので、すぐに忘れた。
『ある合唱団員の手記』(岡田氏, 2018年)
《11月7日水曜日》より抜粋
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